それだけの話

ノリコは暗いバーのカウンターでノリタケの誘いに乗る決意をした。「じゃあそれでいいわ。それでいつにする?」ノリタケは普段から日本人離れをした濃い顔つきをしているが、バーの暗い照明の中では、日本人離れどころか、人間離れ、というかゴリラに似ているとノリコは思った。思い始めるとどんどん可笑しくなる。それでついぷっと吹き出してしまった。ゴリラ、もとい、ノリタケがウホっと返事をするわけもなく、ダンディ気取りで「何だ?」と煙草をくゆらせながら訊いてきた。ゴリラの癖に火を使うとは何事か、と言いたい気がしたが、後始末が面倒くさすぎるので「なんでもない」と、本当になんでもない振りをした。本当になんでもない。だいたい、ゴリラに似ているからといって笑うのは、ゴリラに対して失礼な話ではないか。私はゴリラは割と好きだが、ノリタケのことは決して好きではない。しかし、それではなぜノリコはノリタケの誘いを受けたのだろうか。ノリタケがお金持ちだから?そう、それもある。だが、ノリコは金に釣られる女では決してない。今夜ノリタケは、ノリコが好きなワインを飲ませてやると言って、このバーでシャトー・マルゴーを飲ませてくれた。バーでは20万円もする高価なワインだ。マルゴーは素晴らしく美味しくて、そして官能的だった。官能は女を解放的にする。それでノリコはゴリラに似ている男、ノリタケと夜を共にした。それ以上でもそれ以下でもない。どこにでもある普通の話だ。ノリコはその夜のことを思い出すたびにそう思う。

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